横浜地方裁判所 平成11年(行ウ)36号 判決 2000年9月20日
原告
甲野花子(仮名)(X)
被告
川崎市(Y1)
右代表者市長
髙橋清
被告
川崎市田島福祉事務所長(Y2) 徳植彰
右両名指定代理人
原道子
同
白井ときわ
同
長谷川良則
同
穂坂浩一
同
鈴木實
同
吉田洋
同
玉屋善行
同
野田龍治
同
加藤修
同
山雅之
同
大西義雄
主文
一 平成6年5月6日以降生活保護廃止決定(平成6年7月1日発効)までの間に原告に支給された生活保護費用金32万9428円につき、被告川崎市が原告に対し生活保護法78条に基づく返還請求権を有しないことの確認を求める訴えのうちの金6000円に係る部分を却下する。
二 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 本件廃止決定に至る経緯
基礎となる事実、証拠(適宜、認定事実の前後に記載する。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、本件保護決定から本件廃止決定に至る経緯について、以下の事実が認められる。
1 原告は、本件保護決定以前に、第一生命との間において、次の保険契約を締結した(〔証拠略〕)。
(一) 新種特別養老保険契約(本件養老保険)
(1) 平成3年5月24日締結
(2) 契約者、被保険者はともに原告
(3) 10年満期
(4) 払込方法は契約時一時払で200万円支払
(5) 満期保険金の予定額は324万1000円
(二) 終身保険契約(S62「エスコート21」。本件終身保険)
(1) 平成3年6月1日締結
(2) 契約者、被保険者はともに原告
(3) 払込満了日は平成20年5月31日
(4) 保険料は毎月9463円を川崎信用金庫大島支店における原告の預金口座より振り替えで支払う。
(三) 本件養老保険の平成6年5月6日現在の解約返戻金は218万4107円であり、本件終身保険の同日現在の解約返戻金は88万3930円であった。
2 原告は、平成6年5月6日、被告所長に対し、生活保護申請をし、収入無収入申告書及び資産申告書を提出した(〔証拠略〕)が、右資産申告書には、原告の世帯の資産として、「生命保険その他の保険」は「なし」と、「預貯金」は川崎信用金庫の貯金が1000円と記載されていた。
3 被告所長は、平成6年5月31日付けの文書をもって、同月6日を開始日とする本件保護決定を行った(〔証拠略〕)。
4 被告所長は、平成6年5月23日以降、原告の同意を得たうえで原告の資産調査を行っていたところ、第一生命から、本件保護決定後の同年6月6日付けの契約内容明細書をもって、原告が同年5月6日の時点において1のとおりの二つの保険(本件保険)に加入しているという回答(〔証拠略〕)があった。
そこで、右回答後、川崎市田島福祉事務所職員の小机勝(以下「小机」という。)らは、原告に対し.本件保険の存在について口頭で質したが、原告から明確な回答がなかった。また、小机らは、口頭により来所を指導したが、原告は応じなかった。
さらに、被告所長は、同年6月16日、法27条に基づき、同月23日午後2時に来所されたい旨の指示書(〔証拠略〕)を配達証明付郵便で郵送したが、原告は来所しなかった。そこで、同月24日、小机らは、原告の自宅を訪ねたものの、原告が留守で面会することができなかったため、同日原告に対し同年7月1日に来所するように指示した通知書を配達証明付郵便で郵送した。その後、同年6月27日及び7月1日に、原告は川崎市田島福祉事務所に来所し、小机らと面談した。その際小机らが本件保険の存在と前記生活保護申請との関係などについて質したが、原告は明確な説明をすることはなかった(〔証拠略〕)。
5 以上のような経過を経て、被告所長は、本件保険は原告の「利用し得る資産」に該当し、その解約返戻金により今後20か月相当最低生活の維持を図ることができるものと認め、原告に対し、平成6年7月4日付けの通知書(〔証拠略〕)をもって、同月1日を発効日とする本件廃止決定及び本件返還請求を行った。
通知書(〔証拠略〕)には、「保護開始時に未申告であった生命保険第一生命新種特別養老保険及び終身保険S62エステート21の解約返還金306万8037円が判明しました。そのため法4条による利用し得る資産と認定し、今後20ケ月相当生活維持可能と見込まれる為保護廃止します。又法78条を適用し、5月6日の開始時より6月30日迄の間支給した(生)14万5488円+(住)8万円+(医)10万3940円計32万9428円を全額返金して下さい。」と記載された。
二 本件保険契約者の名義変更
証拠(適宜事実の前後に記載する。)によれば、本件保険契約者の名義変更について、次の事実が認められる。
1 川崎市田島福祉事務所が原告に対し1四記載の調査を開始し、本件保険の存在について口頭で原告に対し質した時期の直後である平成6年6月17日に、原告から第一生命に対し本件名義変更の申請がなされ、契約者が同日乙山に変更された(〔証拠略〕)。右名義変更請求書兼改印届(〔証拠略〕)には、原告と乙山との関係が「内妻」及び「内夫」と、変更の理由が「結婚の予定」とそれぞれ記載されていた。
2 本件養老保険は、それから約1年8か月後の平成8年2月8日に解約され、解約返還金235万4713円は同月12日付で横浜銀行大島支店の乙山名義の普通預金口座に振り込まれた(〔証拠略〕)が、原告によりその9日後の同月21日14時43分に右口座から180万5500円が出金され、同時刻にその金額が同支店の原告名義の普通預金口座に入金された(〔証拠略〕)。
3 本件終身保険については、一記載のとおり原告から乙山へ契約者が変更されてから約1年9か月後の平成8年3月15日に同人から再び原告に名義変更がされ、さらに同年6月11日に原告から妹の丁川へ名義変更がされ、契約関係は維持されている。なお、丁川の住所地は埼玉県児玉郡美里町であるにもかかわらず、保険料引き落としの口座は、原告の住所地に近い川崎市川崎区大島1丁目所在の横浜銀行大師支店とされている。また、乙山から原告への名義変更における乙山名の署名は原告が乙山に代わって行ったことは原告において自認している。(〔証拠略〕)
三 本件廃止決定の効力の有無(争点一)
1 前記1五のとおり、被告所長は、原告が平成6年6月末ころ本件保険を解約してその返戻金を生活費に充てることができたので、生活保護を必要としなくなったとして、本件廃止決定をしたものである。これに対し、二のとおり、本件廃止決定直前の平成6年6月17日本件保険の契約者が原告から乙山に変更されていた旨の事実があるので、原告が本件保険の解約返戻金を取得してこれを生活費に充てることができなかったことになるかどうかを検討する。
2 本件保険契約の契約者を原告から乙山に変更した理由につき、原告は、「平成6年6月当時、原告は病気で危篤状態にあり、収入もなく本件終身保険の保険料の支払の継続が困難であったので、保険が失効しないように、交際していた乙山に本件養老保険も含めて契約者の変更を要請したところ、同人はその要請を快く承諾してくれた。そこで、原告は第一生命に対し、本件名義変更の申請を行った。」旨を供述する。
しかし、本件養老保険については、平成3年の契約時に保険料200万円を一時払で既に支払っているから、平成6年に支払保険料不足による保険の失効ということはあり得ない。また、本件終身保険の保険料は毎月9463円であったところ、その支払は、本件養老保険を解約すれば十分可能であるといえるし、そもそも、原告にはこの当時、次のような資産があったという事実が認められるから、本件終身保険の契約者を乙山に変更する理由として原告が主張するところは認め難く、右供述内容は採用できない。
すなわち、本件廃止決定後の調査で被告所長が把握した事実であるが、原告は、本件生活保護申請直前の平成6年4月当時、芝信用金庫川崎大師支店に計942万7347円の預金を有し(〔証拠略〕)、また川崎信用金庫大島支店に3万6164円の普通預金を有し右口座から本件終身保険の保険料を引き落としていた(〔証拠略〕)のである。したがって、原告は、本件廃止決定当時、これらの預金をもってしても、優に生活に利用し得る資産があったことになる。
3 右二のとおり、原告から乙山に本件保険の契約者名を変更することについての原告の説明には、合理的な理由が見られない。また、前記2一のとおり、第一生命に対する保険契約者の変更申請書には、原告と乙山との関係が「内妻」及び「内夫」と、変更の理由が「結婚の予定」とそれぞれ記載されたが、右記載の事実があった旨を示す的確な証拠もない。
4 また、名義変更を受けた乙山や丁川が現実に保険契約者としての権利を行使したかというと、これを認めるに足りる客観的な証拠がない。ちなみに、原告は、「平成7年秋、乙山は病気で入院し、生活保護の申請をしたところ、本件保険を保有していることが問題となり、福祉事務所の担当者から右解約返還金を福祉事務所に提出するように言われたので、今後そのような問題が起きても困るということで、原告に対し、本件保険を原告に返還することを要請し、原告もそれを受諾した。」と供述するが、このとおりであるとすると、乙山は、まさに名義だけの契約者となったに過ぎず、本件保険における実質的な権利あるいは原告との関係における権利を何ら有しない旨を原告が自認しているとすらいうことができる。
このように本件名義変更後も乙山や丁川に本件保険について実質的な権利がないだけではなく、反対に原告が、少なくとも乙山や丁川との関係において、本件保険の契約上の権利者であるとの事実が認められる。すなわち、前認定のとおり、本件養老保険は乙山名義に変更された後の平成8年2月に解約されたところ、解約返戻金235万4713円は、一旦乙山名義の普通預金口座に振り込まれたが、そのうちの180万5500円が原告により右口座から出金され、同日同時刻に原告名義の普通預金口座に入金され、また、本件終身保険については、原告から乙山へ本件名義変更がされた後、同人から再び原告に、さらに原告から妹の丁川へ名義変更がされ、その保険料の引き落としのための銀行口座は原告の住所地に近く、丁川の住所地からは遠い地(川崎市川崎区大島1丁目)に所在する銀行の支店に置かれている。
5 以上のような事情に加えて、原告から乙山への本件契約の名義変更がされたのが、川崎市田島福祉事務所が原告の資産について1四記載の調査を開始し、本件保険の存在について口頭で原告に対し質した時期の直後ころであるという事実をも総合すると、本件名義変更及びその後の名義変更にもかかわらず、本件保険は、変更後の名義人である乙山及び丁川との関係では依然原告が保有していたものであり、本件保険の名義変更は、本件保険の存在を把握した川崎市田島福祉事務所の調査を意識した原告が、乙山には名義上だけの保険契約者となってもらい、本件保険契約の名義上の契約者が原告から乙山に変更されて、原告が解約返還金を取得することがないかのように表面的に仮装したものであると認められる。
したがって、本件廃止決定は適法であり、なんら無効というべき瑕疵を有するものではない。
四 支給済保護費用の返還請求権の存否(争点2)
1 証拠(〔証拠略〕)によれば、原告は本件生活保護申請以前の昭和62年3月から平成3年12月までの間生活保護を受給したことがあると認められるから、本件生活保護申請当時において生活保護制度について基本的な知識を有していたと推認される。ところが、前記のとおり、原告は、本件保護決定を受ける際に、本件保険に加入していたにもかかわらず、資産申告書には、原告の世帯の資産として、「生命保険その他の保険」は「なし」と、「預貯金」は川崎信用金庫の貯金が1000円とのみ記載した。また、被告所長が本件保険の存在に気付いてからは、原告は、この契約者名義を乙山に変更する等の資産隠ぺい工作をしたものである。
この点につき、原告は、本人尋問において、資産申告書に本件保険のことを記載しなかったのは、当時二口の本件保険を有効に保有しているという意識がなかったからであると供述するが、保険という重要な財産の性格、保険金額の大きさ、それまでの原告の保険料の支払状況(200万円の一時払い等)等から見て、右供述内容は採用できない。
2 したがって、原告は本件生活保護の申請に当たり、故意に本件保険があることを申告せず、「不実の申請その他不正の手段により保護を受け」た者と認めざるを得ない。
なお、原告は、被告川崎市において法80条を適用して、すでに原告が消費した保護金品の返還を原告に免除すべきであると主張するが、右規定は、被保護者が保護金品を消費し、又は喪失し、やむを得ない事由があると保護の実施機関が認めるときに、裁量的に適用されるべき旨を定めているものである。ところが、本件証拠上、右の規定が適用されるべきであるとは認められないから、その余の点について判断するまでもなく、原告の右主張は採用できない。
3 そうすると、被告所長は、法78条に基づき、本件保護決定から本件廃止決定までの支給済みの保護費を原告から徴収することができる。なお、前記のとおり、支給済みの保護費32万9428円のうちの6000円を原告が被告川崎市に対し、既に返還したことは当事者間において争いがないから、右部分については、確認訴訟における確認の利益がないこととなる。これに対し、32万9428円から右6000円を控除した32万3428円については、被告川崎市が原告に対しその返還請求権を有しない旨の確認を求める原告の請求は理由がない。
五 結論
以上のとおりであり、被告川崎市が原告に対し生活保護法七八条に基づく返還請求権を有しないことの確認を求める原告の訴えのうちの金6000円に係る部分を却下し、その余の部分はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岡光民雄 裁判官 窪木稔 平山馨)